思考の掃き溜め
まあ元々そういうつもりでブログ開設したのだからこれでいい訳なのだが、本当にひどい有様になってしまった。
うっかり訪れてしまった方には本当に申し訳なく…
でも書く。
歳を取ると涙脆くなるというが、僕も例外ではないらしい。
余肉が落ちなくなるのも、一年が早くなるのも、身体が痛くなるのももちろん例外ではなかった。
20代の頃は不健康な生活を送っていながら、その癖自分だけは老化に縁がないものだと、なんの根拠もなく信じていた。
無根拠に何かを信じられるということは、それ自体が若さの特権の一つなのかもしれない。
娘と一緒にプリキュアを観ていて涙が堪えられなくなることがある。
そんな時はトイレに駆け込んで落ち着くまで過ごし、なんとかやり過ごしたあとは意図的に他のことに気を散らしながら観る。
一度決壊した涙腺は、僅かな刺激でも容易に二次災害を引き起こすからだ。
プリキュアを観て号泣している姿を妻子に見られるのは、家長として成人男性として絶対に避けねばならない。
眩しすぎるのだ。
諦めない気持ちだけで何度でも立ち上がり、誰かを思う気持ちだけでどこまでも前に進んでいく彼女-プリキュアたちが。
SNS
自己顕示金の無心忖度保身
吐き気がする。
僕の方が間違っているのは重々承知ですが。
幸
下の娘がいつの間にかパパっ子になっていた。
リビングのドアを開けるが早いかとてとてと走り寄ってきて膝に抱きつき、満面の笑みとともに抱っこを要求してくる。
上の子はママ監視のもと、涙目で未だわずかに残ったうどんを食べている。
ひいきはしたくないがさすがにこれは無理だよ。
デザートのみかんはお父さんがむいてあげるから、もう少しだけがんばれお姉ちゃん。
ハミングバード
人を蹴落として結果を出し続けていたライバルにもう少しで追いつけそうだ。
コンプレックスやある種の憧れさえあったけれど、今にして思えばなりふり構わずやってその程度だったのか、と思う。
彼は、「道義を捨てることのできる」強者だったのではない。
道義を捨てずしては勝つことの敵わない弱者だったのだ。
今でも子供のように信じている。
正義は勝つ、と。
見てろよ。
基本的に
ブログを書く時=酔っ払っている時だから、素面で読み返してみると顔から火が吹き出さんばかりに恥ずかしい。
修正しようか削除しようか、いっそもう書くのをやめてしまおうか…
毎回考えるのだけど、結局触れずにいる。
今は昔、僕にだって仲の良い女友達ぐらいいたんですよ。
そんな時代もあったね。
今は男友達すらいないけどね。
僕と似て陰気でめんどくさい奴だったので、よく夜通し飲みながら人生の不条理や悲しみについて語り合ったものだ。
彼女が話し、それについて僕がコメントする、というのが僕らの基本的なスタンスだった。
ある日いつものように二人でだらだら飲んでいると、彼女がぽつりぽつりと語り出した。
曰く、年末年始実家に帰省してきたのだけれど、家族の雰囲気が良くなかったのだと。
彼女の実家にはあまり素行のよろしくない妹が両親と同居しており、たびたび問題を起こしていたらしい。
両親は扱いに困ったのか、あるいは耐えかねたのか、ともかく一家はコミュニケーション不全に陥りかけていた。
仲の良かった昔の家族を取り戻さんと、彼女は奮起したらしい。
陰気でめんどくさい本性を抑え込み、時にはふざけ、時にはおどけ、つまらない誰かの冗談にも真っ先に声を上げて笑う、普段からはおよそ想像しがたいような道化たキャラを演じてみせたのだ。
最終的にどうなったのかは、知らない。
彼女の言わんとすることに、その結果は関係なかったからだ。
あえて言わなかったということは、きっと芳しい結果ではなかったのだろう。
「演じている自分がたまらなく嫌だった」
要するにそれが彼女の言いたいことだった。
あんな私は本当の私ではない。
ましてや理想の私なんかであるはずがない。
つまりは若かったのだ。
彼女は信じていた。
いつ何があろうとも微塵もたじろぐことのない「本当の私」というものがどこかにいると。
まるで物語の主人公のよう、いつ誰に観られていようが一時たりとも揺れることのない「理想の私」にいつかなれると。
でも彼女の話を聞くにつれ、僕は今目の前にいる彼女よりも「道化を演じる彼女」の方が愛おしくなっていった。
自分自身に否定され、暗がりで泣いている「偽物の彼女」の方に肩入れしていった。
気付いて欲しかった。
「道化を演じる彼女」だって紛れもない君自身のあり方の一つなんだよって。
だが残念なことに、酔いとつまらぬ自意識から話し方を間違えた僕は、結局彼女を暗がりから救いだすことができなかった。
もう少しうまく話せていたら…
もう縁の切れてしまった今でも時々そう思う。
要するに愛おしいのだ。
酔いに任せて毒にも薬にもならぬ得体の知れぬ言葉を吐き出す僕が。
回顧
酔った勢いで昔書いた散文をあげてみた。
恥ずかしいけれど、いざやってみればどこか清々しい。
あの頃わたしは確かに生きていた。
そして、未だ性懲りもなく生きている。
誰に嫌われようとも。
相も変わらず死にたいと思う。
相も変わらず死にたくないとも思う。
たぶんこれからも